神様は、明日が来るなんて約束してくれてない。
2013年2月25日。早朝。
私は、いつもより随分早く目を覚ましました。とても寒い日で、いつもだったら布団の中から出れないのに、その日はなぜかぱっと目が覚めて、リビングへ。たしか、朝の5時頃だったと思います。朝一番のコーヒーを入れて、パソコンに向かい、ブログを書いていました。いつもは、本当に夢の中の時間帯。
5時半くらいだったでしょうか、テーブルに置いてあったマナーモードの携帯が震えだしました。アラームだ!と思って、止めようと手にしたら、妹からの電話でした。朝の5時半に妹からの電話・・・。なぜ?
変な胸騒ぎがしました。恐る恐る電話を取ると、妹がしゃくり泣きながら何かを訴えています。全く聞き取れないのだけれど、でも異常事態であることは確かでした。彼氏にでもフラれたのだろう・・・そんな、のんきなことを考えたりもしました。そして、やっと聞き取れた妹の言葉は・・・。
「オカアサンガ、フトンノナカデ、ツメタクナッテル!!」
「は?????????」
言っている意味がわかりませんでした。妹もパニックで、父は今救急車を呼びに行っていて、電話の向こうのただならぬ状況を感じて初めて、母に起こったことが理解できました。でも、やっぱり、意味がわかりません。とにかく救急車がどこの病院に行くのかわからないから、後からまた連絡する。そう言って、妹の電話は切れました。
すぐにでも、向かいたかったけど、どこに向かっていいのかも分からず、私は、頭が真っ白のまま、とにかく身支度を済ませて、愛犬の散歩へ。気持ちを落ち着けるためと、起こった状況を理解するためと、これから受け入れなきゃいけないことを理解するために。
救急車に同乗して病院に向かっている父へ電話したときの、あのサイレンの音が今でも頭にこびりついていて、サイレンの音を聞くと胸がギュッと締め付けられます。
病院で母にやっと会えたのは、霊安室でした。
冷たくなった母に寄り添って、父がいました。父もまた、私と同様、頭が真っ白のようで、何が起こったのか、これがどういうことなのか意味も分からずただ、そこに立っている・・・っという状態でした。
母は、なんの病気もなく、夜寝るまで元気で、きっと明日また普通に朝が来ると思って床につき、そしてそのまま逝ってしまったようです。検死してくださった方の話によると、全く苦しみのあともなく、本当に眠ったまます~っと逝ってしまったとのこと。
来るはずだった朝が、この日、母には来なかったのです。
そんな突然逝ってしまった母と対面しても、私は、なぜか涙も出ず、何の感情もわかず、父と同様にただただ、立ち尽くすだけでした。
そして、やっと母にかけられた言葉は、
「どうしたと?お母さん。なんしたと?」
それは、母の今の状況をどうしても受け入れられない自分の精一杯の言葉だったのだと思います。
ただただ、そう言いながら頬を撫でるくらいしかできませんでした。
・・・今思えば、母が一番そう思っていたに違いないのです。朝普通に起きるつもりだったのに、朝が来なかったのですから。
「どうなっとっと??」
そう母も言っているようでした。
だからでしょうか、静かに眠っている母を見て、涙よりも先に、悲しみよりも先に、この言葉が強烈に頭の中に響き渡ったのです。
「神様は、明日が来るなんて、約束してくれてないんだ」
健康でもこうして突然逝ってしまうことがあります。
重い病気であっても、奇跡的に完治することもあり、奇跡の明日が来ることもあります。
全ての人にとって、「明日」はわからない。
母がそうだったように、私だって、父だって、妹だって、旦那さんだって、「明日」が来るかは分からない。
今日が最期の日になるかもしれないんだ。
もう、「ありがとう」も「ごめんね」も「愛してる」も伝えられないかもしれない。
「明日やろう」って思っていたことも、その「明日」は来ないかもしれない。
「いつかやろう」「いつか行こう」って思っていたことも、その「いつか」は来ないかもしれない。
だとしたら、「今日」思い残すことなく生きていたい。
「今日」伝えておけることは、伝えておきたい。
「今日」やりたい!って思ったことは、やっておきたい。
母の死が一番最初に教えてくれたのは、これでした。涙よりも悲しみよりも寂しさよりもあらゆる感情よりも最初にやってきた言葉がこれでした。それはもしかしたら、母からのメッセージだったのかもしれません。命をかけた・・・。
それからは、怒涛の3ヶ月でした。悲しみも寂しさも、いろんな後悔も日に日に溢れ、噛み締めて味わっては、日常に戻って忘れ・・・。その繰り返し。悲しくても幸せなこと、楽しいことは、容赦なくやって来るから、思いっきり幸せを満喫し、楽しみを満喫し、とにかく、「いっぱいいっぱい」の日々を過ごしました。
当時は、セラピストの道を離れ、フルタイムのパートで仕事をさせていただいていて、そちらの仕事も半端なく忙しい時期だったので、あの3ヶ月は、多分すべてが自分の限界を超えていたと思います。いっぱいいっぱい過ぎて、よく車を運転しながら泣いて帰っていました。仕事の一番忙しい時期を過ぎ、母の四十九日を終えてひと段落した頃、職場の上司が、褒めてくださいました。
「よー頑張ったね」
その言葉で、ふっと力が抜けました。
そして、あの日、頭の中に響き渡ったこの言葉が、私の中に戻ってきたのです。
「神様は、明日が来るなんて約束してくれてないんだ」
だから、私は、ゆっくりと時間をとって、何度も何度も考えました。
「今日」が最期の日となるとしたら、私は悔い無くこの人生を終えられるだろうか?と・・・。
2ヶ月くらい自分とゆっくり向き合って、浮かんできたのはこれでした。
「諦めていたけど、やっぱり諦めたくないこと」がまだたくさんある!
それは、何度も失敗し、家族に迷惑をかけたから諦めていたこと。でも、やっぱり諦めきれないこと・・・。
やりたいと思っていたけど、出来ていないこと・・・。
それがまた、たくさんありすぎて、びっくりしました。その中には、本当にもう無理かもしれないものも入っていました。でも、やれるだけやっておきたい。と思いました。また失敗するかもしれないけれど、やっぱり無理なのかもしないけれど、でももう一度、いや何度でも、生きている限りは挑戦しておきたいと思ったのです。
でないと、きっと私は、
「ああ、最幸の人生だった♥」って言えない。
失敗しても、無理だったとしても、諦めずに挑戦し続けたこと、その中で学んだこと発見したこと、悟ったこと、受け取ったギフト、残したもの、そして、それまでに歩いてきた道・・・その全てが、愛おしく思えるように生きたい!
大切な人に、ちゃんと「愛してる」「ありがとう」を、自分も幸せに、相手も幸せになる方法で伝えながら、生きたい!
そう思って、癒しの道に戻り、戻ると今度は、メンタルコーチングという今の仕事へと導かれ、そして、今に至ります。
今、このお仕事に挑戦して、本当に良かったと思っています。
まだまだ、挑戦したいことは山積みですが、毎日が幸せで、愛おしいからです。
諦めなくてよかった・・・。
そう、心から思います。
今、私は、夢を叶え人生を楽しむためのお手伝いをさせていただいています。
明日が来るなんて、約束されていないからこそ、「今」を幸せに生きていただきたい!
だから、一番幸せな自分の人生について真剣に考えていただき、明確にしていきながら、そこへ向かう一歩を何が邪魔しているのか、その心のブレーキを外すために、今何が必要なのか、自分の本来の力を取り戻して、自分で自分の未来を作っていくためにはどうしたらいいのか・・・
いろんなワークを通して全国の方にセッションや講座をさせていただいております。
このブログでは、その内容をできる限りシェアしていきたいなと思っております。
何かしらのお役に立てたら嬉しいです。
メンタルコーチ 大津真美
これから、どうぞよろしくお願い致します。
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