おはようございます。
最幸の人生をプロデュースする
メンタルコーチ 大津真美です。
今日もブログへお越し下さりありがとうございます。
昨日は、「手を放す」(←漢字、こっちでした・・・(^^;))ことについてお話しました。
そして、感想のメールをいただきました♪
Rさん、ありがとうございました♪
24歳・・・とのこと。
わ、若い!!
そして、まだ手放せないものがたくさんあるし、
一生懸命、みんなに、社会について行こうとしている様子に、
うるうるしつつ、胸がキュンとしつつ、
自分の20代を思い出しながら、メールを読ませていただきました。
今、私は、メンタル・チャクラ理論をもとに、
セッションをさせていただいているのですが、
その講座の中でも詳しく話しているのですが、
チャクラには、発達時期というものと、発達課題というものがあります。
22歳~28歳までは、
第4チャクラ(ハートチャクラ)の発達時期で、
発達テーマは、「自分を許すこと」です。
大学を卒業して、精神科の病院に就職して初めて、
私は、たくさんの「ねばならない」に苦しめられました。
道徳で習った、「~しましょう」に苦しめられたんですね。
「仕事はサボってはいけません」
「人に迷惑をかけてはいけません」
「友達と仲良くしなければなりません」
「和を乱してはいけません」
「無駄遣いしてはいけません」
「人の悪口を言ってはいけません」
「できないことにも、挑戦しなければなりません」
「仕事を休んではいけません」
「仕事を辞めてはいけません」
あと、こんなことにも縛られていました。
「親をがっかりさせたくない。親の期待にこたえたい」
「普通でいたい。」
「仕事ができないと思われたくない」
「失敗したくない」
でも、全部できなかった(笑)
学校では出来ていたことが、
社会に出てからは、出来なかったんです。
仕事も、人間関係も、会社(病院)の中のいろんな決まりごとや常識や空気感も、
全然、全く対応できませんでした。
頑張ってみたけど、できなかった。
それは、精神科での心理士の仕事だったから・・・というわけじゃなく、
きっと、会社に勤めて事務の仕事をしていたとしてもそうだったんだと思う。
「普通」の人ができることが、できなかったのです。
(そもそも「普通」ってなんだよ。って話ですが、そこは置いといて・・・)
でも、私は、運がいいことに「精神科」に努めていて、同僚が「心理士」でした。
だから、ずっとこう言い続けてもらえた。
「まみちゃん、いいんよ、それで」って。
最初は、「いいわけないじゃん!」って思いました。
もがいてもがいて、普通であろうとして、でもわからなくて。
できないことを認めたくなくて、
普通じゃないことを認めたくなくて、
自分が、変だ(変わってる)ってことを認めたくなくて、
自分が、みんなと違うってことを認めたくなくて、
一生懸命みんなの話についていこうとしたし、
仕事にもついて行こうとしました。
でも、わからなかった。
よく、トイレで悔しくて泣いてました。
別に、できなくて怒られたわけじゃないですよ。
できない自分が、悔しくて悔しくて。
そんな自分が許せなくて。
で、泣けてきたんです。
でもね。
そんな自分を許してあげる。っていうのが、
実は、この時期のテーマ、宿題だったんです。
そんな自分を許してあげると、
堕落しちゃうんじゃないか。ってみんな思うでしょ?
だから、怖いんです。
私も、なかなか自分を許せませんでした。
自分を大切にする、自分を愛するっていう意味もわからなかったから、
どうしていいかもわかりませんでした。
それで、とにかく、「いいんよ、それで」って自分に言い続けました。
ダメダメな自分にも、できない自分にも、
もがいている自分にも、動けない自分にも、
頑張っている自分にも、頑張れない自分にも、
許すごとに、ゆるゆるになっていく自分。
余計に仕事に対応できなくなっていく自分。
でも、これまで「正しい」「こうでなきゃ」って思っていたものから、
少しずつ少しずつ解放されて、
少しずつ少しずつ、自分の好きなものややりたいことが分かってきて、
それを、一つ一つゆっくりとやってあげることが、できるようになってきました。
そうしていたら、困ったことに、
余計に、今いる場所が、合わなくなってきたし、
家族ともなんか、これまでと違った感じになってきて、居心地が悪くなってきたりしました。
これまで、いい子でいた分、反動が出ちゃったんでしょうね。
そんな私の、いい意味での変化(私の中では)をみて、
「真美が、やばい!」と思ったのでしょう・・・
実家に帰った時に父がこういったんです。
「あんた一人くらい、食べさせきるけん、帰っておいで」って。
父は、私が精神科の患者さんのせいでおかしくなってきたと
心配してくれたみたいでした。
これまで、親をがっかりさせないようにって、無意識で思っていて、
それで頑張ってきていたんだと思うけど、
それができない自分を許してみたら、
父もそれを許してくれた・・・。
そう、ここでのポイントは、自分自身が自分を許したら、
周りからも許されたってこと。
ちょうど、母が股関節の手術をすることになっていたので、
その看病を理由にやめて帰ってきました。
で、プータローです。
半年位、無職。
そして、母の看病に通いながら、
ニュートラルな自分を楽しみました。
何もしたくなかったけど、それは、なんというか、
「なにかしなければ」っていう自分から解放されたというか・・・。
それで、自分が何をしたいのか、ゆっくりとゆっくりと考えました。
あの時は、ポジティブな人、キラキラな人をうざいって思っていたな。
・・・ごめんなさい。
いくつか普通の会社の事務を受けたけれど、ダメで、
不採用の通知をもらうごとに、自分のやりたいことをちゃんと考えようって、
また時間をとってゆっくりゆっくりしてました。
(もちろん、焦ったり、自分を責めたりする時もあったけれど)
ほら、「許し」と「自分を愛すること」がレッスンだったから、そこに集中したんです。
で、
自分が一番苦しかった時に、救われた「癒し」の世界に行きたいな~。って
ふと、思いついたんですね。
ここ、大切です。
「ふと、おもいついた」んです。
ふわっと、湧いて出てきたんです。自分の中から。
そしたら、
偶然求人を見つけちゃって。
(振り返ってみると、すごいシンクロだな・・・)
まったくもって、経験なかったけど。
マッサージのお仕事。
それで、面接を受けに行って、
オーナーにあったん瞬間、「あ、受かったな」って思いました。
で、受かりました。
マッサージのお仕事。
大学を卒業して、教員の免許もとって、心理の勉強もしたのに、
お風呂屋さんの中にあるマッサージ屋さんでお仕事。
月給12万。
親は、がっかりだったみたいだけど、
それが、私の本当の人生の始まりでした。
たしか、2000年の2月。
おお・・・
ちょうど、24歳の時だ・・・。
その後も、「許す」と「自分を愛する」のレッスンは続きましたが、
ひたすら、それをやり続けました。
あの時は、夢を叶えるどうのこうのよりも、
あるがままの自分でいるというのが、どういうことなのかを模索してて、
結構、緩っとしていて、ふわっとしていて、漂っている感じでした。
そうしていた時に、
そのマッサージ屋さんで、旦那さんと出会いましたからね。
運命とは、わからないものです。
だからやっぱり、「許す」ってすごく大切です。
最後に、こちらのメッセージをみなさんに♪
ハートチャクラが、その一連のお仕事をしてくれてますので、
よかったら、こちらを見て、ハートチャクラの癒しをしてあげてくださいね。
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今日も長い長いメールに最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました♪
Rさん、メールありがとうございました。
「許す」と「自分を愛すること」を是非やってみてくださいね。
それでは、皆様、また明日~
大津真美
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